2004年4月 No.13号
水泳をこよなく愛している人達の泳ぎを見ていると、すごく上手に早く泳ぐ人がおります、練習会に入りませんか・・・、マスターズ大会に出ませんか・・・と話しかけるのですが、私はそういう事には興味がないと突っぱねられる、楽しみ方の違いを感じる事がある。
先日、雑誌の対談で金八先生でおなじみの「海援隊」武田鉄也さんが教師に付いて語っていました。
(武田鉄也さん、談)
(母親の強い希望で福岡教育大に入り、聴覚障害児教育課程を専攻しました。そこで出会った昇地(しょうち)三郎先生のことは忘れられません。重度障害を持つご自身の2人のお子さんのために「しいのみ学園」という施設を開き、そこで実践を重ねながら教育方法を暗中模索しておられました。その先生が退官される時、「折れたるは折れたるままに、小さきは小さきままに咲くコスモス」という言葉を残して教壇を降りられました。私はこの言葉に強烈な印象を受けました。折れてもいいのだ、小さくてもいいのだ、「咲く」、この一点に生きることの意味があるのだと。教育にはさまざまな成果があると思いますが、「この言葉が私の中にずっと残っている」、このことが私にとっての最大の成果ですね。私の歌にコスモスの花が多いのはこの為なのですよ。)
泳ぎが速い人、楽に美しく泳ぐ人、ストレス解消のために泳ぐ人、健康のために泳ぐ人、いろんな目的で泳ぎに来ていると思いますが、大会で金メダルを取るため、チームが優勝するため、の事だけではないかも知れない。
でも泳ぎの速い人がいると大会に誘いたくなる、もしかしたらそうゆうチャンスを待っているかもしれない、しかしそれはお節介なのかも?
四ッ谷遊泳塾チームをもっと強いチームにと思っても、それなりのチームで良いのかもしれない、その中で自己満足に浸っているのも良いかも! 我が四ッ谷遊泳塾は名前の通り、泳いでは四谷界隈で飲んで、食べて、あーでもない、こーでもない、わいわい、ぐだぐだ、時間が経つのを忘れている連中ですが、共通している事は “皆、水泳が好きなのです”
四ッ谷遊泳塾編集部A